初めて料理撮影の現場に足を踏み入れたのは、二十一歳。
前職の料理アシスタントに採用が決まり、正式に働き始める前のアルバイトの日。午後からスタジオへ向かうと、すでに撮影は進んでいて、私は後片付けを手伝うことになっていました。
二階で着替え、一階へ降り、そっと扉を開ける。
すると、そこは真っ暗でした。
大きな窓にはシャッターが下り、室内には静かな緊張感が漂っている。
低い天板に向けて太い三脚が据えられ、大きなカメラがセットされ、その周りを背の高いカメラマンと二人の男性アシスタントが黙々と動いていました。
ライトが当たっているのは、カメラの先にあるほんの小さな空間だけ。
まるで暗い映画館に途中から入り込んでしまったような、不思議な感覚と衝撃を、今でもよく覚えています。
黒っぽい光沢のある布の上に、折敷のような板が置かれ、その上に小さな溜塗の器。
中には、きんぴらごぼうのような炒め物が盛られていました。横にはガラスの酒器と箸。
遠くからのぞき見るように立っていたのですが、そのごぼうが、本当に美しかった。
ごぼうの照り艶。
塗の器の中に生まれる光。
布に写り込む影の濃淡。
その小さな料理が、一枚の絵のように美しく見えた瞬間でした。
料理の本を買い集め、「おいしそう」な画像に憧れ、飛び込んだ世界でしたが、実際の撮影現場で目にしたものは、静かで、神秘的でした。
シンプルな料理でも、盛り方や光の当たり方で、こんなにも違って見えるのか。
そして、その小さな料理のために、三人の男性が何度もライトを動かし、無言で向き合っている。その姿もまた、強く印象に残りました。
料理は、素材を選び、切り、火を入れ、味をつけ、皿に盛る。
その繰り返しです。
けれど、毎日これを繰り返していると、どうしてもそれに集中するため、「調味・調理」で終わってしまうことがあります。
試作をしているときなどは特にそうです。
何品も続けて作る中で、炒め物をフライパンからざっと器へあける。和え物も混ぜたまま盛る。気づけば、「盛る」という最後の工程が、雑になってしまいます。
料理教室や研修などで、「このお料理の正面はどこですか?」と尋ねることがあります。
すると、多くの方が少し不思議そうな顔をされます。
「正面って、何ですか?」
でも私は、「盛る」ということは、花を生けたり、絵を飾ったりすることに近いのではないかと思っています。
この料理はどこを正面として見せたいのか。
食卓についた人に、最初にどんな姿を見てもらいたいのか。
それを少し考えるだけで、料理は変わります。
SNSには、来る日も来る日も美しく盛り付けられた料理がたくさん並んでいます。
彩り豊かで、器も整い、完璧に見えるものばかりです。
けれど、「こんなこと家庭ではできない」と思わなくてよいのだと思います。
むしろ、日々のシンプルな料理こそ、ほんの少し丁寧に盛るだけで、大きく違ってきます。
炒め物をフライパンからお皿にざっとあけるのではなく、菜箸とスプーンで何度かに分けて盛る。
最後に、「どこがきれいかな」「ここが正面かな」と見直してみる。
和え物なら、形のよい葉や彩りのよいものを上に置く。器の縁をさっと拭く。
それだけでも、料理の印象は驚くほど変わります。
豪華な料理でなくてよいのです。
むしろ、シンプルで簡単な料理ほど、その違いがよくわかります。
そして何より、「きちんと盛ろう」とすることで、作る側の気持ちが整います。
忙しい日々の中で、料理をすることは、どうしても「作業」になってしまいがち。
けれど、最後にほんの少し手を止めて盛り付ける。
そのわずかな時間が、自分の気持ちまで静かに整えてくれると思います。
丁寧に暮らす、きちんと料理を作る、ということは、難しいことではありません。最後にちゃんと「盛る」ことだけでもいい、と思っています。
コメント