食や料理にかかわる仕事を長く続けてきて、いつも感じるのは「伝えることの難しさ」です。
私のレシピは、「再現性が高い」とよく言っていただいています。
いつ、誰が作っても、同じようにおいしく、きれいに仕上がる。
それは、仕事をするうえで、私自身がずっと大切にしてきた目標でもあります。
そう強く思うようになったのには、ひとつの出来事がありました。
料理のレシピを考えるときに、私はいつも頭の中で素材と調味料を組み立て、
完成形の盛りつけまで想像しながら、文字と言葉に落とし込み、メモではなく、
レシピという形に書き上げ、実際に試作を行います。
自分でも作りますが、あえてスタッフにも同じレシピを作ってもらうようにしています。
そこで初めてそのレシピを見た人への「伝わり方」が見えるからです。
あるとき、じゃがいもの煮物を一人のスタッフに試作してもらいました。
ひと工夫したかったので、そのあと別のスタッフに少しだけ調味料を増やして再度試作をお願いしました。
ところが、出来上がった二つの煮物は、見た目も味もまったく違うものになっていたのです。
「少しだけ」の違いとは言えませんでした。
なぜだろう。レシピには材料の分量も調味料も、加える水の量もすべて同じように書いてあります。じゃがいもの切り方も、それぞれにきちんと説明して同じのはず。それなのに、仕上がりはまるで別の料理のようでした。
原因は、意外なところにありました。
使っていた鍋の大きさが違っていたのです。
広口の鍋で作ると水分は早く飛びますが、深さのある小さな鍋では、同じ時間煮ても水分がなかなか飛びません。その結果、片方は調味料がしっかり絡んだ色の濃い煮物に、もう片方は水分の残った淡い味わいの煮物になっていたのです。
このとき改めて実感しました。
料理は、材料や分量、調味料だけでは「決まらない」ということを。
家庭ごとに使う鍋やフライパンの大きさや素材は違い、熱源やその火力も異なります。
野菜の味も、産地や季節によって変わりますし、醤油ひとつとってもメーカーごとに風味は違います。
だから「レシピは意味がない」「料理は経験で覚えるもの」「鍋の音を聞き、素材と向き合うもの」といった言葉も、確かに一理あると思います。
けれど、私の仕事は、まだ作ったことのない料理を、文字や写真を通して誰かに届けること、
なるべくわかりやすく伝えることです。
その人が材料をそろえ、時間をかけて作り、出来上がった料理を口にしたとき、まったく違うものになってしまったとしたら。その人の時間やお金、気持ちまで無駄にしてしまうことになります。
それだけは避けたい。
だから私は、自分なりの「決まり」を作るようになりました。
鍋のサイズはこれくらいにする。調味料は基礎調味料をベースに使う。
計量スプーンで量りやすい分量にする。材料の切り方や大きさも具体的に書く。
火加減や時間もできるだけ言葉にする。そして最低でも二度は試作を重ねる。
レシピを書いて、一度で思い通りに仕上がった料理は、ちょっと危ない。
自分だけが、こうなるのが当たり前と思い込んでいないか、確認しないと、
本番の撮影で、「あれ?」ということもよくあります。
作る人にとっては、少し面倒に感じるかもしれません。すべてをその通りに守るのは大変だと思いますし、どこかで自分なりに省略したくなることもあるでしょう。
それでも、その中のいくつかを守ってもらえれば、仕上がりは私が思っていたものに近づいていきます。
その積み重ねの中で、自然と料理する感覚が身についていきます。
煮物ならこの鍋がいい。調味料は量って入れるほうが楽。
にんじん4㎝は、このくらいの幅。5分煮るとこの状態になるから、もう少し煮よう。
そうした感覚が少しずつ自分の中に蓄積されていけば、やがてレシピを見なくても料理ができるようになります。そしてようやく、素材の声に耳を傾け、自分なりのアドリブもできるのだと思います。
計ること、量ることは、自由になるための準備です。
そのために、私はレシピを書くとき、できるだけ具体的に、丁寧に「量る理由」を伝えたいと思っています。



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